子どもが自分から自主的に勉強をしてくれたらいいのにな……
最初は小学校に上がったわが子を見ながらそう思っていた。が、そもそもこのような親の姿勢が間違っていたのかなと最近になって思うようになった。
ニュースなどでは教育改革2020年問題が報じられるようになり、小学校や中学校で学ぶ内容も自分が子どもの頃のものとは大きく異なり、経験としても助けることが難しいと当初は考えていました。子どもの学習や将来について見えない不安にかられていませんか!?
そのままの考えであったなら子どもに大きな負担を強いるだけでなく、未来の可能性を潰していたのではないかと想像するとゾッとする。
本稿では子どもの自主学習の実現に向けて、日常のほんの少しの注意で子どもが自主的に勉強に取り組むようになった方法をシェアしたいと思います。子育てに前向きになれる発想の転換と留意点について
子どもが自主学習に目覚めるために家庭で注意したい事
子育てと通していつも思う事が、子どもだけではないがそれでも特に事もは気分屋である!!という事。うちの子が特にそうなのかもしれませんが、なかなか親の思うようにはいきません……
親の思うようにさせたいとばかり思い、それが躾(しつけ)ではないかと躾の意味を取り間違えていた時はとにかく自分の思うように子どもが行動しないとイライラしたりストレスが溜まったものでした。
で、今は!?というと以前と比較してずいぶんストレスもイライラも減ってきました。
単純に子どもの人格を尊重というと非常にきれいごとのように聞こえるかもしれませんが、子どもの考えに少し以前より耳を傾け、子どもの考えを理解してあげようと気遣うようになり徐々に子どもの反応にも変化が見られるようになってきたのです。
子どもが必要とするときに適度なフォローができているか!?
子どもの行動を客観的に見るというのはけっこう困難な作業です。気づけばついつい自分の考えを持ち込み主観的にとらえることも多々あります。そうすると子どもの心の中まで自分でコントロールしようとしてしまう結果、当然子どもは親の思うようには動きませんのでイライラやストレスをため込むことになります。
親だけではなく、子どもにも……
必要性と許容性ではありませんが、今ではできるだけ子どもの行いに寛容にと自分に言い聞かせながらそっと見守るように注意しているんですね。そうすると子どもも委縮することなく安心していろんな事にチャレンジしようとします。
つまづいたりこけたりした時にそっと手を差し伸べ、不安で立ち止まり前に進めないときに優しく背中を押してやるというのが大事だと子どもに教わりながらですが精進しています。
子どもの学習を放任し過ぎていないか!?
子育てについて、時々ではあるが放任主義という言葉を耳にすることがある。が、これは私は怖くておすすめできない。というのも、放任と自由を混同しているきらいがあるからです。
かたい話に感じるかもしれませんが、自由には責任が伴うということです。自由に育つというのと放任されて育つのは全く異なります。
前者は自分の判断で物事を決めて最後まで取り組むという事。もちろん失敗することもあるというか、ほとんど上手くいかないでしょうが、その時に助けるというのが私たち親の務めだと思います。後者は結果に対しても放任。これでは道を間違えた子供はかわいそう、もはや災難です。
それに、親の愛を感じることも難しくやる気を喪失してしまうのではないかと思うので怖いなぁと思うのです。
必要以上に過度に守り過ぎ、過保護すぎないか!?
放任は怖い!!かといって過保護すぎるのも怖い……
子どもの行動を見ていると、そんなことしたら失敗するのにとか結果が見えることが多々あります。それは当然ながら子どもより長く生きているだけ経験として瞬時に分かるのことも多いのですが……
失敗から学ぶことってひじょうに多いと思います。むしろ失敗したからその後大きく飛躍することにつながるということもあり、これが人生の面白さかなと思う事が最近多くなりました。
もちろん、失敗だけでは子どもは自分には才能がないのではないか!?と自信を喪失することにも繋がる可能性があります。そこで、失敗した時ほど一緒にどうしてそうなったのか考えてあげると良いと思います。
その繰り返しで失敗にも免疫が付き、さまざまな問題に好奇心を持って取り組むことができるようになるんだと子どもを見ながらこれも気づかされました。
また、かわいい子供に苦労をさせたくないというのも一種親心かもしれませんが、苦労のない人生なんてありえないと思います。種類は違ってもそれぞれの人にそれぞれの苦労や悩みがあるはず。コンプレックスも。しかし、そういった苦労や悩みなどがあるから他人を思いやる事もできるようになると思います。
問題は、そのように苦労したり悩みを抱えている時によき相談相手でありたいという事。
子どもの事を想うがあまり、親が石橋を叩いて渡る心理に陥っていませんか!?
子どもに親の考えを押し付け過ぎてはいないか!?
子どもの将来の事を考える時、親の中のあるべき理想像を子どもに押し付けてはいないか!?例えば、こうすべきだとか、こうあるべきといったように。
子どもは親とは似ているところもあるとは思うが、別人格だという事を当たり前ではあるがしっかり認識する必要があると思う。
自分の子どもの頃に自分の思いや願い、考えがあったように子どもにも子どもなりの考えがある。そこへきて親の理想像を押し付けるのは子どもの夢への干渉となります。
そこで、押し付けではなく子どもの話を聞きながらどうしたいのか、どういう考えを持っているのかを大事に汲み上げ引き出すように注意しています。
こうやって見ると、これまで紹介しているのは親である私への戒めであり、なかなか実践中で実際には難しく感じることもありますが、子どもが6歳であれば親も親歴6歳という事で日々学ばされもらっているなと感じることも多くなりました。
以上は、子どもが自主的に学習に取り組むための前提だと考えています。
何のために学ぶのか!?何のための勉強か!?
人は何のために学ぶのか!?子ども時代であれば何のために勉強するのか!?ということになるのかもしれませんが、私の子どもの頃にはよく子どもは勉強するのも仕事だとよく言われました。
まぁ、いまどきの子どもにそんなことを言っても聞き入れてもらうのは難しいのではないかと思いますが……
しかし、このなぜ学ぶのか!?という本質的な問いはとても大事なことだと思います。なぜなら人生は一生が勉強と言われるように実際に社会で身を立てるためにはたゆまぬ勉強が必要だからです。具体的には専門的な資格を取得する為の勉強に限らず、専門職に就けばその専門的な領域の中での更なる向上のために専門的な探究が必要となりますよね!?
実は学校を卒業した後の方がが勉強量が多いというのは一つの事実ではないでしょうか!?
東大京大!?早慶MARCH!?勉強するのは難関大学合格のため!?
何のために勉強するのか!?という問いに対し、それは東大や京大といったような超難関国立大学や早慶といった超難関私立大、それにMARCHなど有名大学に合格する為と明確に自信をもって言える子どもや親であればそれはそれで一つの解を持っている点で幸せなことだと思う。
まずはその目標に向かっていろんな計画があるでしょう。志望大学合格のためにはその前にどのような道のりをたどりどのような学校(お受験からはじまり)で学んだ方が合格率が高いのか!?そのためにどのような塾に通った方が目標達成の可能性が高まるのかなど自発的に調べたりするでしょう。
それに、上記のような難関の学校を目指すためには自立学習ができるというのは大前提だということも併せ考えるとほとんどの方が今回のテーマは既に解決済ではないでしょうか!?
勉強するのがいわゆる一流大学や有名大学に合格する為という事が最終目標となると、目標を達成したあとは燃え尽き症候群のようになり、そこで成長が止まるという危惧があります。が、それは既に自主学習ができるような子どもであれば、さらに別の目標を新たに設定し、その掲げた志に向かって頑張っていけるはずと信じたい。
世の中は理不尽な事が多い!答えのない問題にも多々遭遇する!!
学生時代にも全くないわけではありませんが、社会に出ると強く感じる違和感があります。それはなんて世の中には理不尽な事が多いのか!?という事。
努力だけではどうしようもない問題の数々……日本国憲法はその14条で法の下の平等を謳っていますが実社会では違います。そもそも憲法とは国民の基本的人権を権力から守る事が役割であり、私人間つまり民間社会を律するものではないのですよね……
特に有能でもないのになぜか出世する人がいたり、責任を全く取りたがらないが責任ある立場に重用される人の存在があったり。あまり細かに例示するとひじょうにネガティブな気分になるのでここらで止めますが、理不尽な事が多いのは確かです。
また、理不尽な問題だけでなく、困ったことに答えと言いますか解の無い問題にも遭遇することがあります。正確には分からない問題。これは仕事上で責任の度合いが増せば増すほど遭遇する機会も増えるのですが、ある問題を解決しようとしたときに複数の問題があり、どれを選択しても何らかの問題が残ったり別の問題が発生したり、完全解とならないような場合。
責任を取りたがらず出世している人はうまくこれを切り抜けるのでしょうが、誰かしらこの後始末をする人がいるもの。まして、まじめに仕事をする人は自分で抱える傾向があると思うのでそれも大変。
結局、いずれかの選択が必要となるのですが、そういった場合に自分の中での判断理由というのが必要となります。それを自分の言葉で説明する機会も出てきます。
このような機会に遭遇するのは子ども時代の数十年後になると思いますが、勉強に限らず自主的にさまざまな自分の生活の中で発生する問題に向き合ってこれた子どもであれば、潜在的な対応能力も鍛えられていると思います。
予測困難な未来を切り拓きたくましく生きて欲しいため!?
Heaven helps those who help themselves.
天は自ら助くる者を助くとは有名なイギリスの作家、サミュエル・スマイルズの自助論で有名ですよね。自助論の中では、自分の人生は自分の手でしか開くことはできない。外部からの援助は人間を弱くする。自分を自分で助けようとする精神こそ、いつまでも励まし元気づけるとあります。
これは一面正しいと思いますが、実際には人生の中で多くの人と出会い、助けたり助けられたりしてより人生は豊かになるのではないかなとも思います。
ここで自助論を持ち出したのは、予測の困難な子どもたちが生きる未来を力強く生きて行ってもらうためにはこの考え方は肝要ではないかと思ったからです。
これから先の社会の変わりようはますます速くなり、これまで私たちが経験したことがない未来が待ち構えているという事。AIロボットの研究技術の進化で〇〇年後に仕事がなくなる職種なんて雑誌の記事もよく目にするようになる状況で……
明るいだけでなく困難も多く待ち構える時代を力強く生き抜くための準備として自主的な学習や物事への取り組みはひじょうに重要になってくると思います。
前向きに挑戦する心とあきらめない心を伸ばすには!?
勉強だけでなく、いろんな問題や困難に前向きにチャレンジし続ける心と、あきらめない忍耐力を伸ばすために日常注意ていることをこちらでは紹介します。
随時追記します。
子どもの自主学習に重要な土台作り
自主的に学習する自立心を伸ばすために日常の生活の中で注意していることを紹介します。
随時追記します。